できごとに幸福も不幸もありません。そのできごとを判断する人がいるからこそ、幸福になったり不幸になったりするのです。
たとえば、電車に乗り遅れてしまったとします。このとき、約束の時間に間に合わない、電車に乗れなかったなんて運が悪いと思ってしまうと、自分が不幸のように感じてしまいます。
しかし、同じ電車が遅れるというできごとでも違った考え方をすることもできます。電車が遅れたことでゆっくりコーヒを飲む時間を作れたり、普段は忙しくて目に入らなかった広告にふっと目に留まったときに自分が求めていた情報が見つかったり、こういったよい解釈の仕方もできます。考え方によって幸福にも不幸にもなるのです。できごとが幸福にしたり不幸にしたりするのではなく、そのできごとを解釈する人がいるから幸福になったり不幸になったりするのです。
毎日食べているご飯でも幸福を感じることができます。
今の日本は食にあふれていて、24時間営業のコンビニやファストフード店は当たり前、食べたいときに食べたいものを食べることができます。しかし、食べたくても食べられない国の人たちもいます。また、数十年前の日本でも食料を得ることが困難な時期もあったし、24時間営業のコンビニなんてありませんでした。今食べられることはすごく幸福なことです。
食事のことだけでなく、雨風をしのげる家があること、毎日温かいお風呂に入ることができること、蛇口をひねれば水がでてくること、こういった普段当たり前にやっていることを改めて意識してみて、これまでと見方を変えることで幸福を感じることができます。
普段当たり前にやっていることは、なかなか意識できないかもしれません。災害に合うと断水や停電をしてしまったり、食べものも好きなものを手に入れられなくなってしまって、普段当たり前にやっていたことは実は当たり前ではなかったのだなと気がつくことができます。
人間はこのような危機的な状態にならないと当たり前にやっていることが実は当たり前のことではなかったことに気がつかないのかもしれません。
しかし、災害にはできるだけあいたくないし、このような状態にならなくても幸福を感じたいものです。そのためには、今まで当たり前にやっていたことをもう一度よく見直すことが大切だと思います。
食べられること、毎日健康に過ごせること、お風呂に入れること、こういった普段何気なくやっていることに意識を向けてみることが幸福を感じるポイントです。
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