生きた心地がしない

九死に一生を得た出来事

それは、私がまだ小学生だったころのこと。

当時、私が住んでいる町は信号機の存在も珍しいほどの田舎で、田んぼや畑、空き地などがそこら中にあるような、素朴で荒々しい土地でした。

特に私の家の近所には、使われているのかいないのかよく分からないような空き地が多く、それが私たち子供には非常に嬉しかった。

工夫次第でいくらでも遊びようがある土地がたくさんあったからです。

中でも私たちがよく遊んだのは、土や砂、石などが一時的に積んであるようなスポットでした。

言うまでもなく、その山と積まれた石や土をよじ登って遊ぶのです。

当時は、それが人が登ることを想定して作られたわけではない、ということは理解しておらず、落ちたら怪我をするかもしれない、危ない、という意識もほとんど持っていませんでした。

だから、今でこそすぐ大人に止められそうな遊びでしたが、当時誰かに止められたことは一度もなく、近所ではポピュラーな遊びだったと思います。

その日も、私は近所の友人たちと一緒に、うず高い山に登って降りて、という遊びをしていました。

すると、友達のひとりが、山のてっぺん付近から布のようなものが飛び出しているのを発見しました。

その布は山の中でがっちり固まっているようで、小学生が体重をかけてもビクともしません。

そこで私たちは、その布の片側に立って布の端を掴み、山の下側に向かってアーチを描くようにしてもう片側までたどり着く、という遊びを思い付きました。

なるほど、それは単に山を登って降りてを繰り返すよりも、よっぽどスリリングな遊びで、私たちは一気にそれにハマりました。

そして、私が何度目かのスリルを楽しんでいたその時です。

ビッ、と無情な音を立てて、その布が千切れたました。

一瞬、目の前の光景がスローモーションに見えたことをよく覚えています。

しかし時は止まらず、戻りもせず、私は真っ逆さま、急勾配の斜面を後ろ向きにゴロンゴロンと転がり落ちていきました。

それは石ばかりの山でしたが、運の良いことに、真下には柔らかい土が積んでありました。

そのため、私は砂だらけにはなったものの、怪我ひとつせずに済みました。

しかし、あまりのことにビックリして、しばらく呆然としたあと、我知らず泣き出してしまいました。

自分たちの遊びの危険性を、あの時初めて思い知ったのです。

あの時は本当に生きた心地がしませんでした。

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