私は子供が小学校時代に、地区役員当番の順番と謎のクジ引きでPTA役員と言うものを2年間やることになり、その時に味わった地元民たちとの子育てトラブル経験をご紹介したいと思います。
私自身は元々、首都圏の出身で中学高校も私立だったので、正直、地方がこんなにも閉鎖的で封建主義であり、選択の余地がない所であったと言うことを、その土地に来るまでは分かりませんでした。
主人とは首都圏にある大手メーカーの本社で知り合い結婚後、主人の希望もあって、主人の出身の地方工場に、異動になり、主人の実家の敷地内に新築で家を建てて、私もそれを機に退社することにして、主人を支えながら子育てに専念していました。
そして、二人目も産まれて、子育てが忙しくなる頃から、段々地方の不便さを感じるようになりました。
先ず最初にぶち当たった地方の壁は移動手段です。
地方では本当に車がないと生活が出来ません。
これはかなり苦労しました。
そもそもそれまでの人生で、車を必要とする生活環境になかった私にとって、車がないと生活が出来ないこの生活環境の不便さを、最初はしみじみと味わったものでした。
そして次にぶち当たった地方の壁が、お店と商品の少なさでした。
正直最初はホームシックに陥り、沢山売り場があって、どこへでも電車で行けた首都圏に帰りたくなりました。
本当に地方は不便だし、モノがないと実感した時代でした。今では何でもネットで手に入るようになったので、別に地方に居ても違和感なく、本当に良い時代になったと思っています。
そんな時代を過ごしながら、二人の子供達が小学校に入学して、高学年になった時のことです。
それまでいくつかの小さい地区の係はやっていて、もう大役は来ないと思っていた矢先に、地域の子供が激減したから、とにかく今いる親たちで係を回していくと言う一方的な方針変更が強制されました。
当然、一方的なので子供会から脱退する人やPTA事業に非協力的な人が増加していきました。
うちも最初は他人事だと思って、気にしていませんでしたが、最終的に我が家にもPTA役員の話が来て、最初は面倒なので断って欲しいと、主人にお願いしました。
でも結局、人がいい主人は断れず、それなら脱退すると言った私の話も聞かずに、田舎では個性よりも協調性が大事だからという理由で、仕方なく役員を引き受けました。
そして、毎週会合が開かれましたが、最初の会合に出席してビックリしたのは、誰も何も主張しない、とりあえず参加しているだけの無駄な会合の多さでした。
そこで、私は私の意見を主張しました。
本当は子供達の自主性を重んじる私立に入れたかったけど、田舎なので無いから選択の余地もなく、公立の学校に行かせて、そこでやりたくもない役員に任命されて、しかも誰も何も話さないのなら、解散した方が良いのではと言い切りました。
先生方も、地元出身の地方国立大学か地元私立大学の教育学部卒の先生たちなので、地元のことしか知りません。
その後、今までの習慣を改革すべきと提案する私は変人扱いされて、もう陰口や嫌な役ばかりを押し付けられるようになり、陰湿なイジメに遭い、頭がおかしくなりそうだったので、主人に相談し、半年で主人と交代してもらいました。
その後、主人には苦労を掛けてしまったと思いますが、そもそもこの地に来たのは主人が原因なので、仕方ありません。
その後、子供達は中学受験をさせて、今では地方の公立の閉鎖性からは解放されましたが、あの陰湿で嫌な地元民による地方独特の嫌がらせやトラブル経験だけは忘れることが出来ません。
それでも私の住む地域では、私の様な県外者や自由な発想を持った人達が増えたので、段々、古い習慣はなくなり自由になってきて、来たばかりの頃に比べたら、過ごしやすくなりました。それにしても田舎の地元民による陰湿なイジメは怖いです。
気をつけてください。
首都圏と地方の生活や子育て習慣の違いで味わったトラブル