介護のきつい思い出
もう10年以上前になりますが私の父親、母親と一緒に祖母を自宅で介護した時の思い出になります。
80歳まで全く病気にかかったこともなかった祖母ですが、心臓の機能が弱ることによって少しずつ生活が不便になっていきました。
胸が苦しいと言うことで病院に連れて行っても結局は自然に弱っていくと言うだけで入院をしながら心臓とともに弱っていく肺の機能を補うための治療を行うしかない、年齢が年齢なので抜本的な治療もできないと言うことでした。
延命治療も行わないと言うことで自然に弱っていく祖母本人の希望もあって自宅で看取ろうと言うことにしました。
・看護の負担がふえてくる
最初は介護と言うレベルのものではなくきついと思いませんでしたが、少しずつ寝ている時間が長くなり、看護師が自宅に点滴に来てもらうようになると我々の負担も増えてくるようになりました。
そのうち食事が自分で取れなくなり、肺機能と心臓機能が弱ることによって自分自身がよくわからなくなってうとうとする時間も増えてきます。
しかしながら、状況は良くなりいつものそこに戻る時間もあり一進一退の時間が続くことになりました。
父親も母親も私も夫も口にはしませんでしたが正直なところは、それほど長い期間在宅で介護を行うことになると思っていなかったのです。
だからこそ、頑張って自分たちで祖母の思いを遂げることで恩返しをしようと考えたのですが正直なところ、延命治療を行わなくてもこれだけ元気でいるという状態になるとは思いませんでした。
・介護がきつい
その生活が3ヶ月、4ヶ月と続くようになると本当にきついと感じるようになりました。
父親も母親も仕事はもう既にリタイヤしていましたが家事や地域の仕事をしながら介護を続けるのは本当に大変なことです。
私と夫も手伝うにあたっても車で1時間ちかく離れていますので毎日手伝いに行けるわけではありません。
さらに祖母は寂しがり屋でとにかく近くに常に誰かがいないと苦情を言うようになりました。
ここに至ると入院で最後を看取るしかないと言う判断になってきました。
それでも病院へは毎日誰か来てくれないとかなり不機嫌になることもあって父親と母親そして私と夫が駆けつけることにしました。
・まとめ
そんな生活がまた3ヶ月以上続き、さすがに疲れてしまうところでしたが幸か不幸か祖母の体力もなくなって亡くなりました。
介護は、直接関わる家族にとってこんなに辛いことであるとはなかなか体験しなければわかるものではありません。