幸福を感じることは、全てのベクトルをプラスに持っていける力があると思いました。
そして、その幸福は、誰かに運んできてもらったり、与えてもらうもの、それだけではなく、自分の気持ちの持ち方で、その幸福を小さくしてしまったり、なくしてしまったり、逆に大きくする事も出来るのだと思いました。
わたしは神社やお寺巡りが好きなのですが、昔は、常に自分の願いをお願いしていました。こうなりますように、という願望を伝えて、叶っても、そのままにしていました。
ですが、ある時、わたしは「ありがとうございます」と言っているだろうか、伝えているだろうか、と自問自答致しました。
わたしは、幼い頃に病気で母を亡くし、父とも疎遠になり、あまり家庭の温かさを感じる事ができないまま、大人になりました。思えば、常に誰かと自分を比べ、自分がいかに不幸なのか、という事を考えていました。
誰かと比べたり、自分は悪くない、周りのせいにする事で自分という存在価値を守っていたのかもしれません。
そんな自分が結婚をし、子供が生まれ、楽しい、幸せだと思いながら、何かを忘れているような気持ちがいつもどこかにありました。主人の親は、こんなわたしでも受け入れてくれて、優しくしてくれました。
子供が幼い頃、大きな病気をし、入院した時、わたしは「生きていてくれるだけでいい」と、心の底から思いました。人は、生きているとどんどん欲張りになります。人と比べてしまいます。
ご飯が食べれる、テレビが面白い、一緒に笑い合える人がいる、大切な人がいる、生きている、すぐそばに幸福な事はたくさんあるのに、もっと、もっと、と欲張りになってしまうのです。
誰かと比べない、そして、ありがとう、と感謝をすること。それを常に意識するように致しました。
自宅に神棚を置き、毎日感謝の気持ちを伝えて、大切な人を思い浮かべる、遠く離れている主人の親を思い浮かべたり、想い、感謝する時間を持つことを心掛けました。
神社に行く時も、お願い事をする前に、感謝の気持ちを伝えること、を意識致しました。幸福は、人それぞれ、求める形も、大きさも違います。正解がなく、求めれば求めるほど見えなくなってしまいような気がします。
誰かと比べるのではなく、自分がどうしたいのか、そして、下を向かず、意識して顔を上げて笑ってみる。
小さい幸せを見逃さないこと、生きて今いる事に感謝すること、その日々の積み重ねが、幸福になるチケットだと思っています。
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