私が幸福になるために行っていることは、当たり前と思っていることに感謝することです。
「毎日同じことの繰り返しでつまらない」「平凡な日々に飽きがきた」そんな風に思ったことは誰でも一度はあるのではないでしょうか。私も10代の頃は特にそう思っていました。しかし、年齢を重ねる度にそれがどれだけ幸せなことか分かるようになりました。安心して生活出来る家があること、飲みたい時に水が飲めること、家族が元気で毎朝挨拶が出来ること等、列挙したらキリがありません。
私がそのことを特に意識するようになったのは今年の西日本豪雨の被災者となってからです。幸い自宅には大きな被害はありませんでしたが、約1ヶ月の断水を強いられました。この時、蛇口をひねれば水が出るということがどれだけ便利で幸せなことか実感しました。
仕事帰りに毎日家族で給水に行くのは本当に重労働でした。また、豪雨の直後はインターネットに繋がらない、電話が繋がらない等、通信にも影響が出ました。家族と連絡がとれなかったり、情報を手に入れることが出来なかったりすることが不安で仕方ありませんでした。
西日本豪雨では200人以上の尊い命が奪われました。まさかその日顔を合わせるのが最後になるとは誰も思わなかったでしょう。亡くなれらた方、ご遺族の方の心情を思うと胸が苦しくなります。
そのくらい「日常」というものは脆く儚いものです。今日交通事故に遭うかもしれません。明日大きな地震が起きるかもしれません、災害大国日本で生活しているということはいつどこで被災し日常が奪われるか分からないということです。
「平凡な毎日」「当たり前の日常」それこそが何よりも尊く幸せなものです。大多数の人はついついそのことを忘れてしまいます。だからこそ「当たり前」のことに感謝して生きていけば、それだけで幸福を感じることが出来ています。
幸福とは掴むものでも、特別なものでもなく、感じるものだと思います。そこに気付くか気付かないかでその人の人生が豊かなものになるか、味気ないものになるか決まるのではないでようか。私は何気ない日常が幸せということに気付いてから大概のことでは悩まなくなりました。
そして「明日からしよう」と思うこともなくなりました。「明日」は来て当然のものではありません。突然奪われるかもしれません。それはとても恐ろしいことです。しかし、明日が来るのか来ないのか、それは誰にも分かりません。自分に出来ることはただその日その日を一生懸命に生きること。私は毎日幸せを感じながら生きています。
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