貧乏

情けなくて惨めだった小学校時代

私が子供の頃に経験し、一生忘れることのできない情けない話をしたいと思います。
それは、私が小学校の頃のお話しです。

私は東海地区の市営団地で両親と同居していました。
私の父親は、主に工場向けのお弁当や給食を作る工場に勤務していて、近隣の工場に合わせて3交代で夜勤もあったり、非常に不規則な勤務体系で働いていました。

母親も工場のパートで、朝から夕方まで、電気部品を半田付けするような仕事をしていて、貧しいながらも、慎ましやかに過ごしており、私が小学校3年生までは、毎日平和な生活で、特に問題はありませんでした。

問題が発生したのは、私が小学校4年生で、妹が産まれた頃からでした。
妹を誰が面倒みるのかとか、妹のミルクやオムツや何かとかかる費用に、何だかとても家の中の雰囲気が悪くなって行ったのを覚えています。

近所には、祖母(母親のお母さん)が独りで住んでいたので、いつの間にか、産まれたばかりの妹の世話は私と祖母がすることになっていました。
祖母に教わりながら、小学校4年生の私は、一生懸命に、お人形さんみたいに可愛い妹をお世話しました。

でも現実は、おしっこもするしうんこは漏らすしで、もう臭くて汚くて滅茶苦茶大変でした。

オムツは、高かったけど便利だったので、紙オムツをしていました。
紙オムツを私は買う係でしたが、パンパースを買うと高いと言って、母親に怒られたのを覚えています。

結局、途中から布オムツになり、布オムツの洗濯も私の係になりました。
最初は、ただただ可愛いと思っていた赤ちゃんの妹が、実は汚くて世話も大変なんだと、小学校4年生の子供ながらに実感したのを覚えています。

そうこうしている内に、段々妹も大きくなって、下着や洋服や食費に益々お金がかかる様になりました。

そして、忘れもしません、小学校5年生の夏休み、両親は毎日工場勤務で帰りが遅く、私はひたすら祖母と一緒に、赤ちゃんの妹のお世話をしていたのですが、祖母の具合が悪くなり、寝込んでこれなくなった時、私は赤ちゃんの妹と二人きりになって、気が付いたら、朝はビスケット、昼は箱買いした徳島製粉の金ちゃんヌードル(西日本の方なら分かりますね)を毎日、食べていました。

1週間ぐらいそんな生活していたら、凄く自分が情けなくて、惨めになってしまい、結果として私自身も体調を崩してしまい、入院する羽目になりました。
その後、両親はただただ謝り、母親は会社を辞めました。

暫くの間、その責任は私のせいだと自分を責めたりもしました。
その後も我が家は貧乏で大変でしたが、その時のことは、一生忘れることが出来ず、悲しいかな、いまだに金ちゃんヌードルを見ると少し気分が悪くなります。

やっぱり、貧乏は嫌だなぁと思った情けなくて惨めだった小学校時代のお話しでした。

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