貧乏

泣きながらアジフライを頬張った悲しくも暖かい家族の記憶

私が15歳、高校一年生の時に父の経営していた会社が倒産し、これまで何の変哲も無い穏やかな暮らしが一変しました。

心配する私と兄の問いかけには、大人の話だと言って聞かない父。

「何も心配する事は無いよ」と、泣き腫らした顔で無理に笑う母。

私達兄弟に出来ることは、出来る限り経済的な負担を掛けないという事と、余計な事は口にしないという事しか思い浮かびませんでした。

今までは背広で出かけていた父が、もらい物の様な、くたびれた作業服で出勤し、私達を学校に送り出していた母は、朝起きるとすでに仕事に行っていないという日々が日常になった頃、兄がぽつりと「魚釣りしようか」と言ったのです。

大人しくインドアな兄が、突然と口にした釣り。

私はすぐに、それが夕飯の食材調達だと悟りましたが、「でもお兄ちゃん、釣りしたことあるの?」と訪ねると、私の不安を吹き飛ばす様な笑顔で、「やってみなきゃ分からないだろ!大漁かもな!」と答えました。

そこで私と兄は、近くに住む叔父に竿を二本借りに行き、サビキ仕掛けを借りて、二人のお小遣いを合わせて釣りえさを買いました。

自転車で15分ほどの堤防に行き、糸を垂らすこと1時間。

小魚は確認出来るものの、何も釣れません。

兄が、蟹なら手で捕まえられるかもと言い竿から少し離れ、堤防の側面を眺めていると、水面がキラキラしたと思ったら、魚の群れが堤防沿いを通り過ぎたのです。

大声で兄を呼び、早く!早く!ともう一度餌を詰め替え、仕掛けを落としてやると魚を外すのが忙しいくらいに釣れて、二人で大笑いしました。

夕方、家に戻り袋いっぱいの魚を見せると、母は一瞬驚きながらも、「たまげた、あんたらすごいじゃない」と、大変喜んでくれました。

後から帰ってきた父は、山盛りのアジフライを見て、「なんだ、すごいごちそうだな」と目をまんまるにさせて言うので、少し自慢げに兄と釣りに行ったことを話しました。

「参ったな、参った。貧乏だなんて言っていられないな、今までで一番美味いわ。」

そう言いながら、涙を流す父を見て、私も兄も、泣きながらアジフライを頬張りました。

その後、亡くなるまで懸命に父も母も働き、私達には何の負債も背負わせることなく育て上げてくれました。

兄ももうおらず、今は他県に嫁いだ私ですが、お墓参りであの堤防を通る度に、兄と一緒に笑ったこと、袋いっぱいの魚が重くてよろけながら帰った坂道、家族で泣きながらアジフライを頬張ったことが色あせる事無くよみがえります。

私にとっての貧乏は、悲しくも暖かい家族の記憶です。


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