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我が家の貧乏は私が生まれる少し前に父と長兄が病気になったことで絶対的になりました。田舎の専業主婦で私を妊娠中の母は収入を得る手段もなく、もともと安月給で働いていた父にも貯金や補償もありません。
ただ父も長兄ももうお医者さんからダメだと言われていたにも関わらず、二人とも何とか命をつなぐことができました。
さて、父は一命をとりとめたと言ってもすぐに仕事復帰ができるわけでもなく、兄は長期入院を余儀なくされました。収入はないけど出費がかさむ一方です。私も無事に生まれましたが、年子の次兄もおり、大変だったと思います。
私と次兄が小学生の頃は給食費免除や生活保護など福祉のありがたい制度のお世話になりました。母は責任感が強い人だったので、今どき問題になっている不正受給などと言われるようなことは一切せず、生きて行くのに必要な分だけのお金をもらっていました。
なので贅沢など一切できず、私はいつも兄のおさがりを着せられていました。小さい頃はそれで何とかなったのですが、私も成長するにつれて、周りの子と同じように可愛い服が着たいと思うようになりました。
中学生の頃は制服があり、学校に通うのに服が恥ずかしいと思うことはなくなりましたが、問題は休日です。友達同士で遊びに行こうという話になっても、私は出かける服を持っていなかったので、なんだかんだと理由をつけて遊びに行くことを断り続けました。
最も悲しかったのは、高校生の時、日曜日を利用して担任の先生の引率でクラス全員でスケートに行こうという話が持ち上がった時です。あまり派手にならないように、コートは全員学校指定の制服のコートを着用するようにとのことでしたが、コートの下はもちろん私服です。
女子高生が着るような服を持っていなかった私はそのスケートも用事があると言って参加しませんでした。親に言ってもどうにもならないし、悲しませるだけなので親にもそもそもスケートにみんなで行く話があることも言っていません。実はいまだに言っていません。
もう一つ高校生時代に辛かったできごとがあります。文化祭の時クラスで劇をすることになり、その時に私服が必要だったのですが私にはみんなの前で着られるような服がないので大変困りました。何とか頂き物の服などを集めて持って行ったのですが、私の持ってきた服を見ながらクラスの一部の子に笑われました。
一枚一枚広げて数人で「何これ?」みたいな会話をしながらニヤニヤ笑っていたのを気が付かないふりでやり過ごすのは当時の私にはきつかったです。
今の時代、服装なんて自由だし個性だし、安い服も簡単に手に入れられます。昔の田舎の貧乏はなかなかきつかったなぁと思います。その時代を経験したために、現在の私は服に対して執着しています。プチプラ服を高見えするようにと。わざわざルーズな服装は決してしません。
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