貧乏2

一家全員無職の日々

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よく聞く奨学金問題、40代や50代でも奨学金の返済に追われている記事を目にするたびに、自分の灰色の貧乏な学生時代を思い出します。高校3年生で私立大学の推薦入試に合格したのに3日後に父が仕事を辞めたことを母から知らされました。当時父は54歳、母は47歳、兄は20歳、私は18歳でした。

父の年金が始まるまであと6年間、家族が協力して貧乏生活をしのがなければなりませんでした。50代の父には転職は難しく、やっと見つかったのが相模原の山奥のロボット製作の工場でした。

当時、横浜から通っていたが体力的に通い切れず、横浜の土地を売って相模原の中古住宅を買うことになりました。長年住み慣れて友達もいる場所を去るのも悲しかったですが、転居でフルタイムでパートしていた母も職を失いました。

バブル時代なら横浜の土地も高く売れるはずでした。最初は3000万くらいで家を売りに出し、駅近の中古住宅にすむ予定だったのに、バブル崩壊で最終的には2000万弱で売りました。親と物件さがしをしましたが1時間に2本しか電車がこない駅の駅前物件か、駅からバスが何本も出ていますが乗車時間が1時間の山奥物件か、どちらかを選ぶようになり将来が真っ暗になりました。

結局、バスで1時間の墓のそばの中古物件に決まりました。

入学後にすぐに両親から「奨学金をとってほしい」と頼まれました。推薦入学なので成績が良いので無利子の奨学金をとれるチャンスでした。もし大学2年で成績を落としたら無利子の奨学金はとれません。

大学4年間分の奨学金をもらい、卒業後200万の借金です。そして就活にはいると、山奥に住んでる大卒女子の私には都心の会社をうけても1次試験さえ受かりませんでした。貿易の仕事をしたかったのに海からはるか遠くに住んでいる私は採用されません。

ちょうど就職氷河期、3年の春休みから就職活動をして4年の夏にまだ内定0でした。このままフリーターになって奨学金が返せるか悩みました。

家では父はせっかく転職した会社をやめ、兄は大学中退、母はパート探し中、私は就職活動中、一家全員無職になってしまいました。新聞はなくなり、おかずは冷凍コロッケ1品、お年玉はもちろん無しでした。

私は塾講師と宅急便のバイトをしても、就活の交通費さえ足りなくなりそうでした。都心の会社説明会は参加できなくなりました。財布に小銭しかなくなり、銀行のATMにいちかばちか全部の小銭をいれて、ちょうど1000円になりお金を引き出せた時は感激でした。

私は最後の最後、4年生の1月に相模原の半導体メーカーの正社員に就職できました。家に生活費をいれ自宅から通勤し、父の年金が開始した時には母もパートで働き、兄もハローワークで就職を決めていました。7年後、私の会社が事業縮小でリストラされ、早期退職の退職金で奨学金の残り100万が払えました。

結婚して平和に暮らす今でも、あの一家全員無職の日々は忘れられません。二人の子供の母となった私は、あの時、娘に奨学金を取らせざるえなかった両親の気持ちを考えるといたたまれなくなります。子供に借金を負わせる後ろめたさ、自分はそういう目には逢いたくないと思います。

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