私の貧乏話は、「中学時代」に遡り恥ずかしかった10代になります。
今から30年前、当時、13歳であった私は、父と2人暮らしをしていました。
母親は、小学4年生の時に離婚をして離れ離れに。
住んでいた家は、市営団地の5階になり中学から徒歩10分の場所です。
父は、鉄工所で働いていて給料は安かったと思います。
小遣いは、1か月2千円になり漫画を買う事が唯一の楽しみでした。
母がいない分、洗濯と昼の弁当は自分で作っていた私。
父子家庭のため、弁当の中身は卵焼きと昆布だけの日も多かったです。
そんな中学時代、生活が危機になる出来事が起こります。
父が、大病になり4か月の入院をする事になりました。
当然、高額なお金が必要になり生活費で困る事に。
私は、一人で生活を送る事となり学校へ通います。
最初は、父が貯金していたお金で食事をしていました。
しかし、病院の人から入院費の事を教えられショックを受けます。
父の貯金は少なく、保険にも入っていないため入院費の方に使う事になります。
それから、私は、食事を節約する事になり毎日大変です。
夜になると、「今日は何を食べようか?」と、考えて気持ちは沈みます。
思いついたのは小麦粉で、いろんな食べ物を作って空腹を紛らわせました。
「うどん」「具なしお好み焼き」「パン」など、
2か月ほど、小麦粉を使った料理だけを食べていたものです。
ちなみに、うどんのダシは、「しょう油」と「かつお節」で作っていました。
また、1番辛く恥ずかしかったのが、中学の昼休みです。
昼になると、教室で弁当を食べるのです。
しかし、私は父が入院したため弁当を作れなくなります。
みんなが教室で弁当を開いて、食べる時、
私は、クラスの友人に、「家で食べて来る。」と、伝え教室から出て行きます。
歩いて10分の団地に帰ると、キャベツと水を飲んで空腹を紛らわしました。
小麦粉料理は、夜だけにして昼は、ほとんどコレだけを食べていた感じです。
キャベツを炒めたり、塩をかけてバリバリ食べる日も。
そして、5時間目が始まる5分前に教室へ戻る日々を送ります。
クラスの友人は、父が入院している事を知っています。
教室へ戻ると、時たま、友人からパンを半分貰って食べる事もありました。
しかし、気持ちは恥ずかしく情けない感じです。
その後、父は退院して家に戻って来て仕事が出来るようになります。
でも、高校へ進学する費用はないため中学卒業後、私は働く事になります。
今思い出すと、中学時代の貧乏は思い出であり、「生き抜く力」を付けたいい体験でした。