貧乏

貧乏生活をしたからこそ、小さな幸せを感じられます。

私は現在50歳。振り返ると幼少期から社会人になるまで、私は貧乏生活でした。

私が4歳の頃に双子の弟が出来たのですが、双子の弟が生まれて数ヶ月後に母が亡くなってしまいました。 残された父と4歳の私と双子の赤ちゃん。

今、考えると想像以上の状況だったのだろうと思います。それでも、何とかやりくりをした父には頭が下がるのですが、当時は、父も雇われ職人でした。

六畳一間に4人暮らしです。洋服などは、同じ洋服を1週間着続けるのは、当たり前でしたし、肉料理などは月に1回でした。なので、我が家では、肉が入っている料理の日は特別でしたし、テンションが上がっていたのを覚えています。

少女期になった私は、週に1回、お弁当の日があり、父が作ったお弁当で忘れないのが、3色ご飯弁当でした。

普通の3色ご飯は、入り卵や鳥そぼろなのですが、我が家の3色ご飯弁当は、鳥そぼろの部分に納豆でした。

見た目が同じではあったのですが、さすがにお弁当箱を開けるのが辛く、納豆部分を速攻で食べていたのを覚えています。 そうやってやりくりをしていたのですが、私が小学3年生の頃に父は再婚。

しかし、向こうの連れ子が二人いて、一気に7人家族の大所帯となりました。 しかし、父の収入が劇的に増えている訳でもなく、ただただ人が増えただけなので、もう自分のプライベートも何もありませんでした。

ご飯は肉のない野菜炒めやカレーライスなどの大鍋料理がメインでした。 お風呂も年功序列で入っていた為、私が入る頃には、お風呂の湯船は、もうドブの様になっていました。

勿論、少女期から社会人になるまで、お小遣いはもらった記憶はありませんし、クリスマスプレゼントも駄菓子の詰め合わせでした。 なので、友達と遊ぶにしても、常にお金がなかった私は、声を掛けてくれる友達も減って行きました。

高校生になったら、直ぐにバイトです。それは我が家は、高校生になったら、学費以外は、自分の物は自分で購入しなければ行けないからです。

定期代、昼食代、文房具代などです。 そんな思春期でしたので、社会人になり、給料を頂いた時、自分の好きな物を食べられた時、ものすごい感動がありました。

結婚した今でも、当たり前の様に洗濯したり、食事の用意をしたりするだけで、少し感動したりしています。

私以上にもっともっと貧乏生活を余儀なくされた方々は沢山いらっしゃると思いますが、多分、そういう経験をされている方々は、小さな幸せを見つける事が出来る人だと思います。

貧乏経験をしないに越したことはないですが、その時、辛いなと思った経験は、必ず良い方向に行く為の経験として感じる瞬間があると思っています。

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