幸福への近道

自分にとって幸福とは何かを知ることが始まり

「幸福とは何か」
私はこのテーマをずーっと悩んできました。
私の父は元国家公務員、母は元銀行員というお堅い家。父の仕事の関係で約3年に1回は引っ越しで、幼稚園・小学校・中学校には転校で2校ずつ通いました。

引っ越すたびに友達を失い、教科書は変わり、方言は変わり、私と姉も大変でしたが母はもっと大変だったと思います。

そんな生活のせいか、はたまた母の父(私の祖父)が祖母に対して暴力をふるっているのを間近で見て育ったからか、生来の性質かは分かりませんが、母は私と姉に幼少の頃から高校まで虐待をしていました。

私は前述の通り引っ越しばかりでしたので、他に相談できる相手もおらず、毎日生きるのに必死でした。

高校で転機が訪れ、母が受験を勧めた私立学校に当時頭脳のピークだった私は合格。
ところが、当時京都に住んでいた私は大阪のその学校に通うことはできなかったので、合格したら下宿しますという約束の元受験をしていました。
つまり、高校から家を出られたわけです。(紆余曲折ありましたが本文とは関係ないんので割愛します)。

高校から同級生と話をしていてやっと、自分の置かれていた環境が「異常」であったことに気づきました。
私は転校の度にいじめられ、せめて勉強で見返してやりたいと必死に勉強をしてきました。
よく引っ越しの際に友達や近隣の年配の方から、「色んな所へ行けていいね」「大変な思いをしたら人に優しくなれるからね」と言われていましたが、その時の私は栗かウニかというほど尖っていました。
これはあくまで比喩で、別に不良行為をしていたという事ではありません。
ただ、人の言葉にいちいち過剰に反応しては、心の内で「あんたに何が分かる」という思いが抜けませんでした。

社会人になり、自分の稼ぎで家を借りて過ごし始めてから、私は「人と関わること」を覚えました。
時には言われたくないことを言われてしまうこともありますが、今ではそれは相性だと思うことができます。
沢山の良い大人との出会いで、私の心の中でうずくまっていた子どもが少しずつ大きくなり、自分を好きになれると同時に、周囲への恨みや怨念のようなとげとげしい気持ちが薄らいで行ったように思います。

私はこの経験から、やっと人間の幸福とは「人のために何か力を尽くせること」だと気づくことが出来ました。

今は、休日に消防庁のボランティアとして地域住民の方に救命講習などを教えたり、子ども食堂でお子様や子育て中の親御さん、一人暮らしの高齢者などに手料理を振舞っています。

また、インターネットのゲーム配信で知り合った京都の難病の高校生に、色々な体験をさせてあげたいと、自腹でタクシーを貸切って一日旅行もしました。

時には自分が思っていたような結果にならないことも、人間同士なのであります。
でも、私は結果を求めないことにしています。
私がしたくてしたということが重要だからです。

その人を想い、その人のために行動をできることが、私にとっての「幸福」だと気づけた今は、毎日が幸福です。

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