幸福への近道

あまり気にせず生きることが大事

私は小さいころから他人の顔色をうかがいながら生きてきました。
またとても真面目な性格で、勉強などもきちんとやったり、なるべく礼儀正しく、先生や親から褒められるような言動を心がけてきました。

しかしある時、ふと疲れてしまいました。
常に他人から褒められることばかり意識して、自分のやりたいことは常に後回し。まさに「忖度」することに必死で、自分自身はいったいどんな人間なのか、さっぱりわからなくなってしまったのです。

そうなったきっかけは結婚です。今まで私は一生懸命他人に気を使いながら生きてきて、それなりに評価されてきました。ところが姑は、自分の可愛い息子を奪った私という人間に、最初から嫌悪感を抱いていました。そのため、どれだけ姑に気に入られようとしても、常に嫌な言葉ばかりを投げかけられたのです。そのため、私自身、今までとは勝手が違い、生き方の根底からひっくり返されたような気がして、完全に自分自身を見失ってしまったのです。

しかし離婚を選ぶにも、みんなからどう思われるかばかり考えてきた私にはそういう決断はできません。また夫は悪い人ではないだけに、姑が原因で分かれる必要があるのかどうかもわからなくなっていました。私はどんどん心を病み、食事も食べられなくなり、笑うこともなくなっていきました。心配した夫から、もう姑とは会わなくてもいいといわれ、その後2年間、完全に連絡を絶ちました。

しかしお盆や正月など世間が親戚と集まる時期に、私だけ夫の実家に帰らないという状況は、やはりとても辛く、会わない期間も姑のことを忘れることはなく、常に頭にありました。

そんなある日、仲良くさせてもらっていたある人から、「自分がいいと思ってしたことは、他人にどう思われようが、それはそれでいい。相手がどう思おうが、それは相手の受け止め方であって、自分が何も思い悩む必要はない。他人がどう思っても、別に関係ないんだから、自分が納得してやったことなら胸を張っていればいい。」と言われて、ハッとしました。

今まで、私は他人からどう思われるかばかりを気にしてきて、結局良く思われなかったことに勝手にショックを受けたりしていました。しかし、確かに自分がいいと思ってやったのなら、その後のことなんて気にする必要もないんだと、その時初めて気づきました。

それから私はあれこれ悩むことは少なくなりました。また姑とも冷却期間を置いたせいか、お互いある程度気を使えるようになり、今は良好な関係になっています。

今思うと、結婚当初は気に入られようとして、自分自身を飾っていたのかもしれません。やはり嘘偽りのないまっすぐな心で接することが、相手を敬うことでもあり、ひいてはお互いの幸福に繋がるのではないかと思いなおしました。

その言葉をくれた友人には本当に感謝しています。今は遠く離れた国に行ってしまい、連絡を取ることも少なくなりましたが、その人の言ってくれた一字一句を忘れることはありません。人生で悩むことはどんな人でもあると思いますが、必ず救いの手を差し伸べてくれる人はいるのだと私は思います。

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