私は現在都内の大学に通う大学4年生です。
就職活動もなんとか終わり卒業に向けて研究活動に没頭しております。
そんな私ですが、実は6歳の頃に両親が離婚をし母一人で私を育ててくれました。
母は私を35歳の時に産んだため最初で最後の子供という想いからとても愛情を持って育ててくれました。
そして今回の辛い出来事というのは両親が離婚して数年後に起きたお話です。
私と母は離婚してから東京から横浜へ引っ越しをしました。
右も左も分からず、周りに親戚もいない環境で新しく二人の生活が始まりました。
私は小学校1年生の最後に転校という形になり、新しい環境や新しいクラスメートに馴染むのに時間がかかったことを今でも覚えています。
横浜に来て、私は学童保育に入りました。
学校が終わったらそのまま近くにある学童に向かい19時くらいまでそこで遊んでから母が迎えに来る。
そんな生活を約2年ほど送っていました。
母はとても正義感があり優しかった為、当時女手ひとつで私を育てている中で、学童の保護者代表も勤めていました。
私の中では母はとてもすごい人でまるで優しさをまとった機械のようにも感じたほどです。
しかし私たちが横浜に来て約2年後、私が小学校3年生の時に事件が起こりました。
私はいつものように母を学童で待っていました。
そこに一本の電話が鳴り私に渡されました。
そこで親戚のおじさんに「お母さんが会社で倒れて緊急手術をすることになった。」と言われました。
その瞬間今まで機械のようだと思っていた母が、いつも笑顔でいつも優しかった母が実は相当無理をしていて、体が限界に達していたことを知り私は号泣しました。
すぐに病院に向かいました。
会社で倒れたことで救急車を呼んでもらい、すぐに対処したお陰でなんとか母は生還しました。
後に母から聞かされた事ですが、母は実は若い頃にも無理をして一度大きな手術をしていたそうです。
その為もし家で倒れたり、人があまりいない場所で倒れていたら今頃母が目の前にいないかもしれない、そう当時の私は思い母と共に泣きました。
母はその後1ヶ月ほど入院をすることとなり、母以外周りに親戚がいなかった為、母方の祖父母が飛んできました。
そこで母が帰ってくるまで、帰ってきてからの約2ヶ月共に生活をしまた。
数年間ずっと2人で生活をしていたこともあり家族の温もりを久しぶりに感じることが出来、小さかった私は孤独感や恐怖心が無くなり、なんとか辛い時間を耐えることが出来ました。
この事があってから私は今まで以上に母を大切に大事に考えています。
将来は私の新しい家族と共にみんなで一緒に暮らしていければと思っています。
辛い子供時代