貧乏

冬なのにコートのない貧乏生活

私が小さい頃は家がとても貧乏で、とにかくその日やっと食べていくという感じでした。

父は健康でしたが人の下で働くことが嫌いで、会社に勤めてもすぐに辞めてしまい、定職がなくて常にお金に困っていたのです。

我が家は4人家族でしたが、3Kの団地住まいで、当然車などは持っていませんでした。

そのくせ見栄っ張りで、世間体だけは保とうとしていたのです。

夏休みに他の友達が皆車で旅行に出かけて行くのですが、我が家だけ家族4人でビーチパラソルやボートなどの海水浴グッズに加えて空気入れなどを手分けして持って行かなければなりません。

たまに駅で友達に会うと我が家があまりにも全員大荷物を抱えているので「どうしたの、引越すの?」と言われることもありました。

それでもちゃんと民宿に1泊できたので、まだマシだったと思います。

私が小学校に入ると、更に貧乏が酷くなり、食卓にはおかずが殆どでなくなりました。

出てくるのはとんでもなくしょっぱい塩さけの焼いた尻尾の部分と、三段積みの入れ物に入った「うぐいす豆・小女子・しその実」のセットでした。

毎日朝晩この三段積みセットが食卓に乗り、それをおかずにしてご飯を食べていました。

ご飯は食べられたのですが、いつも蒸し器に入った臭いご飯ばかりで、食べたくないと思ったものです。

しかし私はそれが貧乏だとは思わず、どこの家でもそうなんだと思っていました。

ところが小学校高学年になり、皆が冬にコートやジャンパーを着ているのに、私だけ買って貰えないのは何故かと疑問に思う様になったのです。

姉は比較的暖かそうなジャンパーを買ってもらっていました。私は雪の日でも上着なしで学校に通ったものです。

母親に「寒い」と訴えると「もう少しでお姉ちゃんのが下がって来るから我慢しなさい」と言われました。

つまり、高い洋服は先に姉に買い、サイズアウトになるまで着てから私に下がってくるというシステムになっていたのです。

このシステムは高校まで続き、姉が学生服のコートを着て、姉が風邪で休むと私がコートを着られました。

2歳違いの姉が高校を卒業するとやっと私が冬に毎日コートを着て通える様になったのです。

学生時代は冬は寒いものだと思っていましたが、今となってはあり得ないことだと思います。

食べるお米だけは何とかなっていましたが、学生になり人と比べる様になると何もかもない、或いは姉から下がってくるまで待つ日々でした。

大人になり好きな洋服を買い、外食をして、車を運転して出かけられる幸せをかみしめています。

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