貧乏

携帯まで停止になった貧乏な生活

 

    こんにちは。私は45歳の女性です。

 今日は私が体験した、東京での貧乏生活の体験談を書いていきたいと思います。何卒よろしくお願い申し上げます。

 両親の反対を押し切り東京へ

 私の生家は比較的裕福な家でした。正直申しまして、何不自由ないところで育ちました。

 しかしながら私は、高校を卒業してから「東京へ行きたい!」という夢がありました。

 しかし両親は大学へ行ってほしかったようで、対立。対立したものの、反対を押し切り上京しました。

 東京の現実は厳しい

 東京で部屋を構えて働きだしたものの、東京の物価の高さが懐に圧し掛かってきました。

 給料としては14万円~15万円。家賃が75,000円のワンルーム・・・家賃だけで給料の半分を占めてしまうので、自ずと生活が厳しくなりました。

 家賃を滞納する訳にはいかないので、公共料金等をやり繰りしていたのですが、及ばずに電気が停止、水道が停止、ガスが停止、という事がありました。果ては携帯まで停止・・・

 会社の上司から「君。携帯止まっているじゃないか!困るよ。連絡取れないのは」と怒られてしまう始末でした。

 1日の食費なんて100円やら200円であり、体重が15kgも減ってしまうほどの生活をしておりました・・・

 「東京なんて来なければ良かった」と思ってしまった若い夏の日の事は、今でも覚えております。

 母親が訪問して泣きました

 私はそんな生活をしてでも、「東京で頑張るんだ!」と歯を食いしばって、頑張っておりました。

 「負けない!負けたくない」という思いでいっぱいでした。

 お風呂にも入れないので、自宅マンションの洗面所で洗髪をしていると、インターホンがなりました。

 「公共料金の催促」と思い、無視したものの、聞き覚えのある声で私の名前を呼ぶのです。

 「●●子!母さんよ」というのです。私はすぐにドアを開けました。

 母親は部屋に入るなり、生活の惨状を悟ったようでした・・・泣かれてしまいました。

 今でも、今でもこの時の母親の泣き顔は覚えております。

 母親は「こんな貧乏な生活をしているなら、どうして助けて!と電話をよこさないの!馬鹿だね」と怒られてしまいました。

 すぐにお金を用意してくれて、ご飯まで奢ってもらいました。この時に初めて、親の有難みを分かったような気がします。

 まとめ

 その後、東京で生活をして安定する事ができましたが、父親が病気をしてしまったという事で、実家に戻り、今日に至ります。

 この時の惨めな生活は忘れていませんし、忘れられません。ですが、この経験が私を人間的に強く成長させてくれたと思っております。


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