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対人恐怖症から幻聴、精神病棟に入院、20代の極貧生活

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私は20代の頃、極貧生活を味わいました。親に大学を卒業させてもらったのですが、その頃から、メンタル面で不調が始まりました。特に対人恐怖症がひどかったです。

ですので、働きにでることはかなり難しかったです。それでも勇気を振り絞り、アルバイトなどに応募し、採用され、仕事をすることがありました。

しかし、やはり、人との接触はうまくいかず、職場ではいつも孤立気味でした。結局どの職場も長続きせず辞めることが多かったです。

そんな私ですが、次第に家に引きこもるようになりました。両親との会話もほとんどありませんでした。

他人との接触はコンビニ店員さんに箸をください、と言う程度です。毎日がとても不安でした。

公園に一人で行くこともありましたが、ある日、警察官に職務質問されました。ちょうど若者は働いている時間に1人で公園でフラフラしてる私を見て不信に思ったのでしょう。

とても怖かったです。その件があってから、私はますます外に出なくなってしまいました。

引きこもっている時は、父親が働いていたため、わずかではありますが、小遣いをもらっていました。

インターネットで漫画などを買い、空虚で不安な毎日を過ごしていました。しかし、私の不安な毎日はこれだけでは終わらなかったのです。

ある日、寝ていると上の階から、ヒソヒソと囁き声がします。その声は母親と父親が私の事を非難している内容でした。

例えば、私がお金を盗んだのではないか?とか、母親の悪口を言っているという内容でした。私は父親と母親にそんなことはしていない!と強く抗議しました。

父親と母親は怪訝な顔をしていました。父親と母親の声は私の幻聴だったのです。私は精神病棟に入院することになりました。

幻聴は一か月ほどで聞こえなくなり、退院することができたのですが、なんと悲しいことに父親が突然死するという事態が起きてしまったのです。

母親と私は収入を断たれました。病院のソーシャルワーカーは私たちに生活保護を受けるように勧めてきました。しかし、母親はプライドが高くそれを拒みました。

母親も私と同じように人と接触するのが苦手な人でした。外に出て働くという選択肢はなかったようです。ハローワークの人に勧められて、封筒の袋詰めという内職を家でやるようになりました。

私もこの仕事を手伝いました。しかし、一個封筒に入れるだけでわずか5銭にしかならなかったのです。私と母親の毎月の生活費は月7万円ほどでした。とても大人二人が満足に暮らしていける金額ではありません。

食事も満足に取る事ができませんでした。朝はごはんに生卵をかけて食べるというのが習慣になりました。卵は近所のドラッグストアで安売りしているものを並んで買ったものです。

また一個10円のもやしも良く食べました。茹でたもやしにマヨネーズをかけて食べるだけという生活を一週間ほど経験したこともあります。市役所の生活福祉課の職員さんは、そんな私たちの窮乏を見て、手をさしのべてくれましたが、やはり、母親が頑として生活保護を断ってしまいました。

そんな暮らしを続けているうちに私の病気が再発していました。私はまたしても、精神病棟行きになってしまいました。

ソーシャルワーカーが私に母親と離れて暮らすことを勧めました。そして、生活保護を受けるようにと。私は同意しました。

退院後、私はアパートに引っ越し、新しい生活を再出発することになりました。病気とうまく付き合いながら、それなりに人並みの生活を送れるようになりました。市役所の職員さんや病院のソーシャルワーカーさんにはとても感謝しています。

貧乏生活も経験しましたがそれも良い人生の肥やしと思えるようになりました。

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