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貧乏で小学校へ行けず

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私は母子家庭の四人兄弟で育ちました。母子家庭というと女手一つで育てているというようなイメージがありますが、私の母は例外です。

末っ子で育ったからなのか、甘えん坊で離婚して祖父母の家に転がり込み、しばらくは世話になっていたのですが母親の兄夫婦との同居の中で子供四人がやって来て住む場所と食べ物などを与えるのは容易ではなかったと、自分で稼ぐようになってからは思います。

母は四人の子供を必死で守ろうという意思もなく、パートを決めては辞めてなかなか収入が得られずに祖父母から真面目に働き自立しろと言われて近くの町営アパートに入ることになったのです。

その頃は私はまだ十歳にも満たなかったので、おじいちゃんたちに捨てられて貧乏になったのだと思いました。

なぜならこれまでは朝昼晩ときちんとご飯が食べられていたのに離れて暮らすようになってからは朝ごはんなしは当たり前、夜もおかずと言えない代物が並んでおり、給食費などの支払いもできなくなっていったのです。

当時の担任の先生が若くて経験がないということからか、お金持って来ないのではなく、持ってきたくても貧乏でお金がないことを理解してもらえずに、「期限内になぜ持ってこれないの?毎月提出するお金でしょう」と言われて迫られることもありました。

母が渡してくれないことを言うのですが、母はプライドが高くて聞いていない、渡したはずだと言い続けてとうとう私は学校からの信頼も失い、学校へ行かなくなったのです。

祖父母は高齢のため母親に援助をすることができず、お金がないから学校へ行けなくなったことも認めてはくれませんでした。

母親は元々自身も仕事が長続きするようなタイプではなかったので学校へ行かないなら給食止めてもらおうとなぜかプラスに考えるようになったのです。

電気は毎月止まり、町営住宅で家賃が安いにも関わらず滞納をしていて役場の人が何度も家に来るのも見ていました。支払いができない母親は攻められてしょげてはいるのですが、帰るとケロっとしていて危機感はないのが幼いながらも私には理解できませんでした。

電気のない生活が来ることを見越してか、我が家には常にロウソクや懐中電灯がスタンバイできるようになっていましたし、電気なしで一週間以上過ごしたこともあります。お風呂は週1回くらいしか入らなかったし、食べるのがなかったら草をとってくるのも日課でした。

今、必死になって働いているのは幼いときの貧乏で惨めな自分にはなりたくない、支払いができなくて迷惑をかける大人にはなりたくないという強い思いがあるからだと思っています。

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