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日々新たに

貧乏生活

ご飯の上におにぎりが乗っていた

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うちの父の暴力はとてもひどくて、母はもちろん私たち子どもにも機嫌悪いと容赦ないです。いまなら幼児虐待として役所も駆けつけるほどです。

ですが、当時そうした時代ではなくて、私が頬に手形をつけ学校にってもそれ追及してくれる先生がいなかったのです。もの投げられたり、平手で殴られたり、刃物をつきつけられたりしました。何が導火線になって暴力を振るわれてるのかわからなくて息を殺すように生活しているだけでした。

そうしたことが習慣となり日々自分たちを責めることで過ごしてきました。ですが、母が50歳を目前にして私が20歳、弟が15歳になった時、私たちのストレスは極限に達しました。

このままだと3人のうちだれかが殺されるかもしれない。「弟が社会に出るまで我慢」と言っていた母が家を出ることを決めました。でも正攻法で離婚しお別れできるはずないのです。私たちは夜逃げを選んだのです。

弁護士に相談して母は3人で住む小さいアパート借りたのです。昼間そこへちょっとずつ荷物を運んだのです。家具、テレビなど父が異変に気づくものは思い出があって寂しいのですが置いてくしかなかったです。

父が飲みに行き遅くなるという日私たちは置手紙してついに家を出ました。父が厳しくパートしかできない母が自由になるためにこっそり貯金したお金は、弁護士費用を払ってアパート借りて必要最低限の家電を購入したら残金は320円しかありませんでした。

そして、わたしも弟も「学校を辞め働く」と母に言ったのですが、母は「今だけを見てたらいかん、将来を考えれば、しっかり卒業して就職しなくては一生こんな貧乏生活だ。」と泣きながら言いました。

アパートの家賃、食費更に、わたしたちの学費、そして弁護士への費用と証拠集めのために探偵をお願いしたりして、その費用がかさみました。わたしは就活しながらバイト、弟も高校生でできる範囲の仕事で小遣い稼ぎをしました。

私たちが生活していくには節約しかなくて、電気代ですが、寒い暑いは気合でエアコンを極力我慢してました。水道代、ガス代もかかる風呂はカラスの行水を心掛けたのです。バスタブに湯をためるのは褒美と呼び行ないませんでした。

変動が大きいのが食費です。食べ盛りの高校生の弟は食べ物屋でのバイトを選んで、そこでたらふく食べるようにしたのです。家ではメニューはもやし丼やもやしサラダなどです。もやしも高いといったある日、ご飯の上におにぎりが乗っていたのです。父がいた頃に比べると更に貧乏になりましたがこれで良かったんだと思って過ごしました。

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