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日々新たに

貧乏生活

サバ缶のご飯

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私が子どもだった頃、40年ぐらい前の事ですが、我が家はとても貧乏でした。一日500円の生活だったと、よく母が話してくれました。その500円の中から、父にお弁当の材料を買い、残ったお金で、私と父と母で生活していました。

職場で食べるお弁当は、父が恥ずかしい思いをしないように、いつも工夫して作っていました。ほんの数百円のお弁当でしたが、職場の方は驚くような、素敵なお弁当だったそうです。

大人になって、時々どうしても食べたくなるものがあります。それは、サバの缶詰とご飯、菜の花のお漬物、粉ソースのパスタにつくしや蕨です。子どもだった私はなぜ、大人になっても、このようなものが突然食べたくなるのか、わかりませんでした。

美味しいものもありますが、今は全く美味しいと感じないものもあるのに、食べたくなることが不思議でした。そしたら、母が、私が小さい頃によく食べさせていたのだと、話してくれました。

山菜の季節になると、父と山に行きました。沢山山菜を採って来て、母がそれでおかずをつくってくれていました。菜の花は、私の大好物で、今も菜の花の時期は毎日食べています。

子どもの頃は、すぐ近所の畑に、菜の花が咲いていたので、黙って採って帰って、「おばちゃんがくれたから、これでお漬物を作って」と頼むと、「本当にくれたの?黙って採ってきたんじゃないの?」と何度も尋ねられ、素直に白状すると、すぐに私の手を引いて、一緒に謝りに行きました。

私と母は、何度も何度も謝りに行きました。でもいつもおばちゃんは私の事を叱ったりせず、もう少し菜の花を持って帰りなさいと言って、私に渡してくれたことを覚えています。もう、黄色い花が咲いていましたが、塩揉みにして食べると、本当に美味しかったです。

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おやつ代は30円でした。50円持たしてくれた時は、必ず20円のお釣りを持って帰ること、と言って、私を信じて50円を持たせてくれていたのですが、私はよくお菓子屋さんで誘惑に負けて、50円のガムを買ってしまうことがありました。20円でもとても大切なお金だったので、「約束したでしょ?おかず、買えないよ」と、叱られたものでした。

6畳一間と小さい台所のある部屋で、何年か生活していました。時々、とてもお腹が空いていたことを思い出します。でも、それよりももっと心に残っているのは、イヌタデの花が咲く野原の、沢山の蝶が飛んでいたこと,赤い彼岸花や黄色い菜の花がとても綺麗だったこと、近くの川で父とフナを獲ったことなどです。

毎日、サバ缶のご飯だったけれど、幸せだったなと思います。

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