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日々新たに

貧乏生活

貧しかった大学時代

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私は4人兄弟の長女です。割と勉強が好きだったため、高校時代は成績も良く、学校の先生から東京の大学に進学することを勧められました。

しかし父は公務員で、母も土日もパートに出ていたので、生活に余裕がないということは自分でもよく分かっていました。ただ、憧れの東京で、行きたい大学に通い、一人暮らしをしてみたいという気持ちはどんどん強くなっていきました。

高校3年の夏休み前に先生と進路の話をしたときに、その大学に推薦するから、ぜひ行ってみないかと言われました。私は家計の状況を考えて悩んでいると、先生が母に話をしてくれるということになり、わざわざ家まで来てくれました。

両親に推薦の話をしたとき、2人とも喜んではくれましたが、少し困ったような顔をしたのを今でも忘れることはできません。最終的に父が、そんな大学に推薦してもらえるのは光栄だし、ぜひお願いしますと答え、私は大学の推薦入試を受けることになり、無事合格することができました。

奨学金を借りたものの、兄弟のことを思えば仕送りをたくさんもらうこともできません。そのため、家賃だけを送ってもらい、それ以外はアルバイトで稼ぐことにしました。

大学に通いながら、ファーストフード店や、コンビニ、そして家庭教師のアルバイトも掛け持ちしました。今まで家でぬくぬくと生活していたけれど、それは両親が必死で働いていてくれたおかげだったとつくづく親のありがたさを感じました。

大学の授業も難しく、絶対に留年などしたら高校に迷惑がかかると思い、一回も休むことはありませんでした。しかしバイトとの両立はとても大変でした。風邪をひいたりすると、心細くて実家に帰りたいと思ったことも何度もありました。また、友達がバイト代をためて海外旅行に行ったり、飲み会に行ったりするのを見ると、とてもうらやましかったです。サークルにも誘われたのですが、時間のやりくりが難しかったので、結局入りませんでした。大学時代で唯一心残りなのは、その点です。

4年間貧乏暮らしを経験し、私は東京での生活に終止符を打ち、実家に帰ることになりました。地元の銀行に就職が決まったのです。当時は就職氷河期だったので、地方出身でコネもない女子学生は、東京で就職するのは大変でした。

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その銀行で主人と出会い、わずか3年で辞め専業主婦になり、3人の子供に恵まれました。息子たちはいずれ東京に出たいといっていますが、やはり金銭的なことを思うと、力強く「大丈夫!任せておいて!」と言ってあげることはできません。

今思えば、苦労して大学生活を送ったことは、結果的に専業主婦になったことを考えると無駄だったと言われるかもしれません。しかしあの時苦しい思いをたくさんしたことで、精神的には強くなりました。

「可愛い子には旅をさせよ」と言います。うちの息子たちにもあえて苦労をさせるのも大切なのではないのではないかと考える毎日です。

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