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日々新たに

貧乏生活

食パン生活

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某国立大学へ現役合格、ストレートで卒業し、大手アパレルブランドのショップ店員(正社員)として就職しました。
ここまでは一見すると人生のレールへ見事に乗っかった順風満帆な航海でした。

しかしそんな私を待っていたのは社会という荒波でした。
女性社会特有のいわゆる「派閥」に早い段階で属することができなかった私はたちまちはみ出し者となり、陰口、悪口のターゲットとしてロックオンされてしまいます。

元来声が大きく活発で、感情的になり易かった店長から仕事のミスを怒鳴られる毎日が手伝って、瞬く間にうつ病を発症。
店長、エリアマネージャー候補としての期待もプレッシャーとなり、僅か半年で退職に追い込まれました。

ここから私の貧乏一人暮らし地獄の幕開けです。

うつ病で身体が思うように動かず、長時間は働けないので、シフトの融通が利くアルバイトで生計を立てることになりました。
時給は決して高くなく、週6勤務でも月収は多くて10万程度。

家賃15000円、日当たりゼロのワンルーム闇部屋、網戸無しのアパートを見つけ、大して貯金も無かった当時は雨風凌げればいいと転がり込みました。

洗濯物を部屋干ししたとしても網戸が無いので窓が開けられません。よって湿気がこもる、コート類にカビが生える、じめじめと居心地が悪くなる悪循環でした。
しかし貧乏なため除湿機を買うことができず、買えたとしても洗濯のたびに利用するほどの電気代も払えませんでした。

この電気代関連として、TVが結構電気を使うことはなんとなく知っていたのではじめから用意せず、部屋は常に静まり返り、面白い番組で笑うことも、感動する映画を観て泣くこともせず、ただ自分の生活音だけが響く、閉ざされた世界でした。

私が住んでいた街は豪雪地帯、且つ冬季の気温はマイナス10度近くまで下がる寒冷地で、木造アパートの冷え込みは凄まじいものがありました。
室温が氷点下となり、濡れたままの雑巾は凍る、部屋に設置した温度計はゼロ度までしか計れないので「エラー」表示がデフォルトでした。

ガスストーブは付いていましたが、プロパンガスの高額ぶりは生活を直撃、仕方なく小さな電気ストーブを短時間だけつけて、厚着で布団にくるまって過ごしていました。

1月2月頃の、あまりにも寒い時期は近くの24時間営業のコインランドリーで暖を取り、そのまま一夜を明かすこともありました。

またここにはTVが設置されていたので、どうしても観たい番組があればこっそり観ていました。

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それでも冬は暖房費はどうしてもかさみ、食事は1日食パン1斤だけでした。
朝1枚、昼2枚、夜3枚、帰宅が遅くなった時は太るのを気にして1枚とし、翌日へ繰り越しました。

食べる絶対量がそもそも少ないので太るはずもなく、頬はこけ、顔から血の気が無くなり青白くなりました。
スリムな体型を手に入れはしましたが健康的なやせ方ではなく、持病の貧血が悪化し、立ち上がるたびに目まい、立ちくらみ、目の前が真っ白になって卒倒を繰り返しました。

厳格で昔ながらの亭主関白だった実家は現状を伝えても「社会人として我慢が足りない」と精神論で突っぱねるばかりでした。
身内という逃げ道が絶たれ、更に精神的に追い詰められうつ病は悪化。
貧乏生活に困窮し身体も悲鳴を上げ、何も考えられずにただ毎日を過ごすだけの廃人生活でした。

今考えると、あんな生活を5年以上続けられたことが不思議で、あの時命を絶つ選択をしなかった自分をほめてあげたいです。

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