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日々新たに

貧乏生活

よく生きていたなと思う新婚時代

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私は、ものすごく早く子供を授かってしまったので、元夫は当時まだ17歳だったりしました。住まいは、お互いの実家を点々とした後、市営住宅とゆう家賃数千円のオンボロアパートに入居して、三人で生活していました。

旦那は、家業の建設業でしたが、塗装を担当しており、雨が降ったら休みになるとゆう最悪に稼げない仕事をしていました。

一方私は、保育園に子供を預ける事が出来ずに、無職でした。もちろん、お互いに貯金もなく、旦那が稼いでくる7万円で1ヶ月やりくりしていました。もちろん、食品は、ほとんで実家からの貰い物、ガスはほとんど止められ、ていたので、カセットコンロで湯を沸かして、ベビー風呂に入れて温度を調節し、赤ちゃんをお風呂に入れていました。

大人は、もちろん水か、その残り湯で入ったりしていました。電気が止められた時は、ロウソクの日もありました。でも、冷蔵庫などがあるので、電気は、何とか一番に支払いをしていました。

旦那の昼弁当と子供のミルクを買ったら、自分の食べるものが何もなくなるので、まる1日飴だけの日もありました。あまりに食べなさすぎて、体重は10キロ痩せガリガリになりました。当時は痩せて嬉しかったですが、産後すぐに母乳が出なくなりました。

とりあえず、常にお腹がすいていました。何とか保育園を探して、やっと決まってアルバイトに行きました。しかし、相変わらず食品が買えなかったので、何も食べずに飲み物だけで、朝から夕方まで働き、片道30分かかる保育園に朝、夕抱っこ紐で通いました。毎日ヘトヘトでとても辛かったです。

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中でももっとも辛い時期がありました。それは、夏場でした。もちろん我が家にはエアコンはないし、つけるお金もなかったので、風呂桶に水をはって、暑くなったら子供と入るとゆうのを1日に何回も繰り返していました。それでも死にそうな時は、歩いて二時間かかる道を、金がないので、抱っこ紐をつけて歩いて実家に帰ったりしていました。

帰りは送ってもらえるので、朝から夕方までエアコンの下で眠ったりしていました。そして、実家のご飯を食べ貯めしてアパートに帰っていました。お金が足りなさすぎて、旦那は、借金をしていたらしく、我が家は、さらに火の車になっていました。

最終的には、水道が止められてしまい、家賃の未納で強制退去させられました。未だに、市営住宅にはブラックリストに載っているみたいで応募が出来ない状態にあります。貧乏暇なしとは、本当によくいった言葉で、貧乏人は、交通手段すら使えないので、現地まで歩きしかなく、1日が本当に無駄な時間ばかりで終わってしまうのです。たいしたことをしてないのに、時間がないのはこの為だと納得しました。

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